2016→2017

クリスマスイブ

今年も去年と同じ遊園地でイルミネーションを見てきた。

二年目の私達

思い出巡りのような過ごし方が増えたように思える

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知り合った時から

好きなものが似ているふたり

自然と

ごく自然と。

二人の時間は始まった 

 

思い出の観覧車

一年目はデート

二年目は噛み締めるように

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ココ最近

2人の関係性が変わってきた気がする

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不思議なくらいすんなりと

恋から愛へ

恋人から同居人になった私たち

デートという言葉に違和感を感じるようになってきたのです

 

クリスマス当日はペア着て水族館へ

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彼いわく

デートという言葉の違和感は待ち合わせが無いからなんじゃないかと。

たしかに

同じ家に住んでいて同じところへ。

そして同じ場所に帰る。

 

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私達は

水、光、生き物も好き。

ここは初めて行ったなー

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クラゲがとっても綺麗だった

わたしは、時をゆっくりマイペースに過ごすのが好き

だからきっと

彼らのことが好きなんだろう

 

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夜は家でディナー

彼の好きなものを頑張って作った

これも最近の変化だけど

家で過ごす時間が

とっても増えた。

恋人から同居人へ

そしていま、2人は家族になろうと

そこへ向かっているのかもしれない

 

そして大晦日

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私は仕事だったのだけど

いつも通りお迎えに来てもらい

一緒に帰って年越し蕎麦を食べて

年が明けた深夜

二人で初詣に出かけた

今年の抱負はー?とか

願い事はー?なんて話をしながら

初詣の参拝の列に並んでいたのだけど

願いも抱負も、

彼の幸福を願うことばかりしか浮かばなかった

 

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元旦

今年はお節をつくった。

新年だとか元旦だとか

全く何も実感がなくて

いつもと同じ1日だったのだけど

美味しそうにご飯を食べる彼の笑顔が

特別な日を思わせてくれた

 

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二日目は鍋を作った

正月は鍋を作るぞぉ!と意気込んでいたわけで

これまた彼は大喜びでたいらげてくれました

いつでもなんでも

おいしいおいしいと言ってくれる彼

なんでも美味しい言うから不安なるなーって言ったら

なんでいつもそう、ひねくれてるのー

真っ直ぐに受け止めてよー

と怒られた

 

そう、わたしはひねくれもの

いつだって自信が無い

自分のことをたいせつにできない

誰かのためにしか頑張れない

 

年末に

過去の辛いことを思い出す出来事があり

そのとき、そのつらさを彼に受け止めてもらえず

や、たぶん

過去のこと持ち出されてめんどかったのかな

腕を掻っ切った。

私は数年前

この世で一番大切だった人を亡くしているんです

それ以来、何も怖いものはなくなったし

逆をいえば

失うものもなくなった

そんな時、彼に出会ったのだけど

たぶん

もう、何かを失うことに耐えられないんだとおもう。

心を手放されることにも。

なんの躊躇もなくカミソリで腕を切ってた自分に

後で驚いた。

横にではなく

縦に20センチ近く切り裂いた

 

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年末に、彼が眠ってしまっている間に

こんな映画を見た

すごくすごく

どこまでも、私たちに似ていて

涙が止まらなくなってしまい

見終わったあとも泣き続けた

さっき書いた

腕を切るきっかけになったできごと

それがあったとき

あたしは心を壊してしまい

日常生活ができなくなってしまったのです

その時のことも思い出したし

主人公の旦那さんが、彼にソックリで

はたまた

主人公が自分にソックリで。

とてもいい映画だった。

 

大晦日

あたしが仕事の間に、彼もその映画をみて

 彼も涙が止まらなくなったそうだ。

とある夫婦の実話。

私たちにそっくりな、愛の形

 

あの映画を見たあたりからか

二人で未来の話をする機会も増えた

主にあたしが話を振るのだけど

彼の中でも、私の中でも

未来のふたりは

夫婦になっている。

恋人から同居人へ

同居人から家族へ

夫婦へ

 

いつになるか分からないし

彼のペースに委ねようとは思っていますが

ゆくゆくは

一緒になるんだとおもいます。

 

優しさは

性格や元々持ち合わせたものでも生まれるものだと思うのだけど

愛は

教わるもの、学び続けるものなんじゃないかと

つい先日考えていた

愛とは何か

という、話は置いておいて

愛を知らない人は

愛し方がわからない

ごくごく普通の家庭にあったりするもの

親からもらう愛

それがいかに、尊いものか

もちろん、上に書いた性格的なものでもちあわせた優しさで

自分の中から愛に似た暖かい気持ちを生み出せる人もいるけど

友達や恋人、親

ほかの人から貰って育つものが

愛なんじゃないかな

自己愛は別。

受け取れる人か受け取れない人かにもよる

案外そこらじゅうに溢れているものだったりするのに

発信と受信が上手にいかないのが

それのややこいところ。

 

私の家庭も彼の家庭も複雑で

多分、私達は2人とも、まだまだ愛の形が不完全なんだとおもう。

むしろ、二人一緒でやっとこ完成するような。

 

私は彼に、暖かな家庭の優しさをあげたい。

安心感と安らぎと優しさをあげたい

暖かい食事を

暖かな布団を

おかえりなさいを

明かりを

 

彼の帰る場所でありたい

彼の休める場所でありたい。

 

んー

なんかもっとかきたいことがあったはずなのだけど

薬が切れて中途覚醒してしまいこれを書いているので

全く頭が働かないや

 

あと1時間で彼の起きる時間

ねむろう

 

なんだか、変な文になってしまいましたが

今年もよろしくお願いします