精神薬について考察す

人間にはややこしい事に

思考と感情がある

神様はヒトという骨の器に

心と脳みそを埋め込んだ。

 

思考と感情

心と体

 

私は睡眠導入剤を飲んでいます。

昔から眠るのが下手だったのだけど

仕事がハードなのと

数年前に心を壊して以来

上手に休むことが出来なくなってしまった。

主治医の見解は

しっかり眠りましょう

まずは体を休めないといけません。

あなたは疲れきっています。

 

あれから数年

友人の言葉と合わせて思ったことは

 

薬を飲んで休まるのは体

私が疲れているのは心

もしくは、頭

 

睡眠薬を飲んでも中途覚醒することなんでザラだし

飲んで寝ているのに疲れが取れない

そんなこんなで前回の処方から薬が変わったのだけど

これが合わなすぎて

中途覚醒はもちろん、健忘もひどい

 

だから

飲むのをやめた

 

飲まずに眠ったら

翌日、なんだか、すっきりしていた

薬合わなかったんだなーなんて思っていたのだけど

翌日もなんだかすっきりしていた

すっきりしていたというよりは

眠った実感があった。

 

これは、昔から思っていたことなのだけれども

ゆっくりしようとダラダラしても

ゆっくりできないのです。

ゆっくりしてるってことをしないと

ゆっくりできないのです。

のんびりしたいときは

のんびりしてるってことをしないと

のんびりできないのです。

 

要するに

そこに必要な休息には

心も絡んでいるから。

 

体を休めるだけならば

眠ればいい

けれど

ヒトという骨の器には

心と脳みそがある。

実感が必要なんだ。

 

思考を止める薬も

眠る薬も

何の役にも立たない

ヒトという骨の器は

感じ続ける生き物だから。

 

思考を止めても

現実は変わらない

眠る薬で眠っても

心は癒された?

 

安い言葉で言うと

リフレッシュ

心と頭が

感じてなければ

骨の器が楽をするだけ

 

心を動かし続ける骨の器

ヒト

なんとややこしくて

めんどうで

尊いのでしょう

なんて繊細で

愛おしいのでしょう。

 

あたしは自分のココロに鈍感で

いつしからか

ココロの苦痛に気づけと言わんばかりに

先に体が悲鳴をあげるようになった

体が壊れてはじめて

ココロの不調に気付くと言うべきか

 

だいたい

ショックな事があったり

酷く心を痛めると

体を壊す

 

めんどくさい事に

体を壊す前のあたしは

ココロの不調を本能的に穴埋めしようとしているのか

やたらテンションが高かったり

異常に無理をしたり

動いたり

働いたりする

 

誰かのために動いていると

安心できるんだと思う

 

ここまでくると

休めといわれても休めないし

止まれといわれても止まれないし

思考は働き続けて

結果

ダウン

 

総合して

結果的に見ると

主治医の処方と見解は正しい訳なのだけど

 

一周まわって

やっぱり

必要なのは

ココロ

 

ココロである。

 

たくさん感じて

ココロを動かして

感動して

安らぎを感じて

愛を感じて

ココロが感じて初めて

脳がそれを認識する

 

ココロ→脳→体

 

無理やり強制終了をさせるような

やはり

私は薬というものがあまり好きではない

症状を緩和させる薬はあれど

根本治療、原因があるもの以外

治せる薬なんてない

 

なんで?

どうして?

 

私はココロがすきだ。

 

そんなわけで

私は風邪をひきました。

ゆっくりしてるってことを

しようとおもいます。